ずいぶんと久しぶりの投稿になります。
今回は、先月から再開したポッドキャストHoshirioの最新エピソードについての解説です。今シーズンは、私やフェルナンドの友人知人をゲストとして招き、彼らの得意なこと、広めたいことを話してもらうというインタビュー形式をとっています。
2回目に当たる本エピソードのゲストとして登場したのは、私の友人で社会言語学研究者のカイサです。
マルチリンガルが語るマルチリンガルの育て方
出身はフィンランドですが、カイサとは当時私がアーティストレジデンスプログラムをしていたポーツマスでハウスメートとして出会いました。母国語であるフィンランド後以外に、英語、フランス語、スペイン語を自由に操る彼女を見てびっくりしました。もう25年前の話になります。
日本では今も昔も、バイリンガルだというだけで褒めて(?)もらえます。トリリンガルなんてツチノコレベル、いわんやマルチリンガルをや…ですが、海外で暮らすと2カ国語を操れるのは当たり前…という強者によく出会います。
当時、ポーツマス大学でジャーナリズムを専攻していた彼女は卒業後、しばらくジャーナリズム関連の仕事をやっていましたが、やがて親になり、自分の子どもを英語環境で育てながら、フィンランド語も教え、彼らが住むウェールズの言語であるウェルシュ(ウェールズ語)も自ら学び子どもにも教える中で、社会言語学の研究を始めました。現在は、カーディフ大学で博士号を取得し、研究者として在籍しています。そんな彼女にポッドキャストで、多言語での子育てや、その過程で学んだこと、マルチリンガルで良かったことや大変だったことについて語ってもらいました。
ちなみに、私もフェルナンドもバイリンガルです。ポッドキャストでは、英語が第二ヶ国語である三人がマルチリンガルについて語っています!
私が一番興味深かったのは、外国語を学び、それを使ってコミュニケーションをして生きるという体験が、自分や、自分が暮らす世界に対する思いやりを育てるという部分です。私もバイリンガルなのでわかりますが、カイサもフェルナンドも、英語を話す際、相手のエネルギーによっては緊張してしまうことがあるよねと話していました。
それぞれ、相手がこちらの英語力を試すようなスタンスだったり、何度も何度も聞き返されたり、何を言ってるのかわかろうとしないスタンスを見せられると、少しくらいなら平気ですが、自分のペースを失って舌がもつれたり、本来伝えたかったことが伝えられなかったりしたこともありました。
アンビリンガリズム
これは、全ての言語を母国語同様に自由自在に使いこなせるという意味で、理想的ですが、あえて「そうならなくていいのだ」とする考え方を持つ方がマルチリンガルになりやすいという話もしています。
カイサ曰く、子どもたちはそれを早々に学ぶらしいんですね。だからこそ、「子どもはすぐに(外国語)を話せるようになる!」と大人たちは思うのかもしれません。この、「完璧に話せなくて良い」というスタンスを持つことは、大人になってから外国語を学ぶ際にもとても役に立ちそうです。
二人子どもがいる彼女は長男の場合、4歳になるまでに英語とフィンランド語が問題なく使いこなせるようになっていたということですが、4歳離れている長女の場合は少し違ったようです。このように、子どもによってニーズや学び方も違いがあることと、成長の過程において「もうやりたくない!」と言い出したり、他の皆と違う言葉で喋ることを「ダサい」と感じたりして、外国語の習得に対して消極的になるフェーズも必ず訪れる…ということで、それらを受け入れる懐の深さも重要になってきます。
そんな場合に必要になってくるのが、「なぜ他の子はやってないのに私だけやらなきゃいけないの?」という部分をどう伝えるかということです。もちろん、親自身が「英語ぐらい話せるようになっておけばよかった」とか、「バイリンガルだと将来就職する際に選択肢が広がる」とか、そう言った大人目線の実用的な観点も重要ですし、両親がそれぞれ別々の国々にルーツを持つ場合は、「自分のルーツの言語を学ぶ」という理由も大切でしょう。理由は人それぞれ家庭によっても様々でしょうが、まずは自分野中で理由をクリアにしておき、子どもの成長に合わせて話し合い、フィットしなくなったら更新する可能性も持っておきましょう。
大人の場合はそれこそ「完璧に話せるようにならなくても良い」というスタンスをもち、スコアを取ることを目標にするよりも、外国語を使って得られる体験にフォーカスして、柔軟かつ合理的に対応していきましょう。
言語を身につけた方が良い理由、思いやりと共感の違い
そんな「言語を身につける理由」として、カイサが自らの体験を通して学んだのが、自分や他者への思いやりだと話してくれました。これは、自分にとっての母国語でコミュニケーションを取ろうとする外国人の方々とのコミュニケーションももちろんですが、新たに言語を身につけようとする自分の覚えの悪さに対する思いやり…もあります。私自身、未だにスペイン語は「学習中」であり、まだ他にも「やってみたい」言語がいくつもあります。きっと、英語以外は仕事で使えるレベルまでにならない可能性が高いです。こんな場合もこの「完璧でなくて良い」というスタンスが使えそうです。
最近読んだ、ルトガー・ブレグマンの「Humankind 希望の歴史」のエピローグにあたる「人生の指針とすべき10のルール」の中の一つを紹介して、本記事を締めくくりたいと思います。
本章の4項目でブレグマンは「共感を抑え、思いやりの心を育てよう」と、共感と思いやりの違いについて説明しています。本書の中でおそらく、最も印象に残った部分かもしれません。ここでは、共感している時の脳をスキャンする実験を通して、共感を感じている人の脳内で何が起きているかということと、共感に代わるものがあるかどうかということを調べました。
まず、共感している際、私たちの脳では耳のすぐ上にある脳領域が活性化していることが脳をスキャンした画像から見てとれ、結果として被験者らは消耗したと書かれていました。
これが、共感がわたしたちに与える影響だ。それは人を消耗させる。後の実験で、シンガーは一群の被験者に対し、一週間のあいだ毎日、一五分間目を閉じて、できるだけ深く他者に共感することを求めた。一五分は彼らが耐えられる限界だった。その一週間が終わると、被験者は皆、以前より悲観的になっていた。ある女性は、列車に乗り合わせた客を見ても、苦しみしか見えなくなったと言った。
これが、共感(エンパス、empathy)が私たちに与える影響です。つまり、一時期流行った「エンパス」という言葉につられて、安易に「自分もそうだ!」とアイデンティティに加えてしまった場合、今頃、鬱々としてしまっているかもしれません。いかがですか?
そこで最初の部分、実験のテーマをもう一度思い出してみましょう。
共感している時の脳をスキャンする実験を通して、共感を感じている人の脳内で何が起きているかということと、共感に代わるものがあるかどうかということを調べました。
この「共感に代わるもの」が、思いやりです。
しかし、共感(empathy)、同情(sympathy)、思いやり(compassion)…など、どれも似ていて実際に心の動かし方として、これらの違いをあなたはハッキリと認識できていますか?そして使い分けていますか?
ブレグマンの本では、被験者であるチベット仏教の僧侶が出てきます。実験では、彼にルーマニアの孤児についてのドキュメンタリーを見せました。共感とは、孤児の境遇に身を置いて、孤児と共に感じることです。思いやりは、孤児のために感じることを指します。それは、孤児たちの苦悩を共有する共感と違い、孤児たちへの優しさ、気遣いを呼び起こすことで、彼らの苦悩を自分も経験するのではなく、
彼らの苦悩を自分も経験するのではなく、それとの間に距離を置いたのだ。
それを行った際の被験者の脳スキャンでは、前回とは別の場所(線条体と眼窩前頭皮質)が光りました。
共感と違って思いやりはエネルギーを搾りとらない。事実、前回(共感の実験)に比べて、リカール(被験者であるチベット仏教の僧侶)ははるかに気分が良かった。なぜなら、思いやりはコントロールがしやすく、客観的で、建設的だからだ。思いやりは他者の苦悩を共有することではなく、それを理解し行動するのに役立つ。それだけでなく、思いやりはわたしたちにエネルギーを注入する。それは他者を助けるために必要なものだ。
わかりやすい例として、暗闇を怖がる子どもと一緒に暗闇を怖がるのが「共感」で、思いやりとは、子どもを落ち着かせ、怖がる必要はないと宥めることが本書では挙げられています。
脳は、脳トレという言葉からもわかるように、筋肉同様、鍛えることができる器官です。私はこの本を読んですぐに意識し始めました。皆さんもぜひ、共感と思いやりを区別するところから始めてみてください。このブログを読んでいる方であればすぐにエネルギーが変わるのを感じることができると思います。
思いやりを意識することができれば、言語習得も進む…かもしれません。又、思いやりがある人ほど、言語習得も早い…のかもしれませんね!
Humankind 希望の歴史 ルトガー・ブレグマン著👇