前回の記事では、
「地図を見ている」という話を書きました。
進んでいなくても。
答えが見つかっていなくても。
まだ調べている。
まだ考えている。
まだ誰かに助けを求めようとしている。
そんな小さな行動の中に、
私は「まだ終わっていないサイン」を見ることがあります。
でも、ここで自然に出てくる問いがあります。
それなら。
なぜ私は動けないのだろう。
動けないことと、望んでいないことは違う
私たちはよく、
動けない
↓
やる気がない
と考えます。
でも実際には、
この二つは必ずしも同じではありません。
疲れていることもあります。
眠れていないこともあります。
安心できる場所がないこともあります。
余裕がないこともあります。
本当は向かいたい場所がある。
本当はやってみたいこともある。
それなのに動けない。
そんなことは普通にあります。
航海に出る前の船に燃料が入っていなければ、
船が動かないのは当然です。
船を責めても、
海には出られません。
補給とは、足すことだけではない
補給というと、
休むこと。
眠ること。
旅行に行くこと。
好きなことをすること。
そんなことを思い浮かべるかもしれません。
もちろんそれも大切です。
でも私は、
補給にはもうひとつの形があると思っています。
それは、
荷物を降ろすことです。
船を軽くする
興味のない誘い。
義務感だけで続けている活動。
本当はやりたくない役割。
いつの間にか引き受けていた責任。
私たちは時々、
燃料不足というより、
積みすぎで動けなくなっています。
だから補給とは、
何かを足すことだけではありません。
断ること。
やめること。
離れること。
降ろすこと。
そういうことによっても、
船は軽くなります。
そして同時に、
誰かに話してみること。
助けを求めること。
やってみたかったことを少し試してみること。
そんな小さな行動が、
新しい風を運んでくることもあります。
自分の中だけを掘り続けない
もし今、
動けない理由を自分の中に探しているなら。
少しだけ立ち止まってみてください。
もちろん、
自分にできることはあります。
休むこと。
断ること。
整えること。
誰かに話してみること。
助けを求めること。
やってみたかったことを少し試してみること。
でも、
理由はいつも自分の中だけにあるとは限りません。
人には、
自分ではどうにもできない領域があります。
誰かの準備。
環境の変化。
季節。
タイミング。
そういうものもまた、
現実の一部です。
私たちは時々、
進まない理由を探そうとして、
自分を責め始めます。
でもその探究は、
行き過ぎると自分自身を内側から傷つけてしまいます。
動けない理由を知ろうとすることと、
自分を責めることは同じではありません。
そして時には、
自分を変えることよりも、
環境との関係を少し変えることが必要な場合もあります。
ここから始まる
地図が開いていても、
船の準備が整っていなければ出航はできません。
それは意志の弱さではありません。
まず必要なのは、
もっと頑張ることではなく、
船の状態を見ることかもしれません。
燃料は足りているだろうか。
積みすぎていないだろうか。
今の環境は、
本当に自分を前へ進ませるものになっているだろうか。
そしてもうひとつ。
もしかすると、
まだ風が吹いていないだけかもしれません。
その話は、
次の記事で書こうと思います。






