その感情が指しているもの

その感情が指しているもの

12〜18分

「この人、嫌い。」

そう思ったこと、ありますか?

話し方が嫌い。
自己主張が強い。
なんとなく信用できない。
一緒にいると疲れる。

嫌いに限らず、怒り、不安、怖さ、悲しさ。
いわゆるネガティブな感情が出てきたとき、私たちはそれをあまり歓迎しません。
できれば早くなくなってほしい。

そして、そのために、
なぜ、私はこんな気持ちになったのだろう。
と考えます。

とても自然なことだと思います。
ただ、ここで一つ、別の見方があります。

原因を探す、ということ

私たちは、時間の中で生きています。
何かが起きる。
そのあと、感情が動く。

「あの人があんなことを言った。」
腹が立った。

「あの人の言い方のせいで、私は腹が立った。」

こうして理解するのは自然です。
前に起きたことと、後に起きたことを、因果として理解する。

それだけではありません。
嫌な感情が出てくると、私たちは、その理由を探そうとします。
なぜ腹が立ったのか。
なぜ怖いのか。
なぜこの人が嫌いなのか。

そして、原因らしきものが見つかると、そこをどうにかしようとします。

あの人が原因なら、あの人を変える。
この場所が原因なら、そこから離れる。
過去の出来事が原因なら、その出来事を解決しようとする。

もちろん、それが必要なこともあります。
でも、いつもそうなのでしょうか。

Don’t shoot the messenger.

Somatic Clarityでは、ネガティブな感情を、なくすべきものとは考えません。

Don’t shoot the messenger.

嫌いなら、まず嫌いでいい。
「ああ、私、この人嫌いなんだな。」

怖いなら、
「私、怖いんだな。」

腹が立っているなら、
「腹が立ってるんだな。」

そこで、自分を説得する必要はありません。

人を嫌ってはいけない。
相手にも事情がある。
もっと理解しなければ。
こんなことで怒る自分がおかしい。

そうやって感情を消そうとすると、Messengerまで一緒に追い返してしまいます。

まず、届いたものを受け取る。
それが現在地です。

Causeを探すことと、Messageを受け取ることは違う

「あの人の自己主張が嫌い。」
そう感じたとします。

原因を探すなら、
「なぜ私は自己主張する人が嫌いなのだろう。」
という問いになります。

昔、自己主張の強い人に嫌な思いをさせられた。
いつもそういう人に、いいところを取られていた。
だから私は、自己主張する人が嫌いになった。

一つの因果は見つかりました。
でも、そこで終わらずに見ていくと、別のものが見えることがあります。

あのとき、自分は何を受け取ったのだろう。
何を選んだのだろう。

もしかすると、
「自己主張する人間は最低だ。」
というルールを、自分の中に置いたのかもしれません。

それは、あのときの自分が選んだことです。
その選択を否定する必要はありません。

ただ、そのルールを今も使っているとしたら。
それは、今の自分に何をしているのでしょう。

ルールは、自分にも適用される

「自己主張する人間にはならない。」

そう決めたはずだった。
でも、私たちが自分に課すルールは、いつもそんなに精密ではありません。

自分の意見を言う。
人前に出る。
得意なことを堂々とやる。
自分が作ったものを見せる。
欲しいものに手を伸ばす。
自分の良いところを、そのまま表に出す。

そんなものまで、
「自己主張」
という同じ箱に入っていることがあります。

誰かを押し退けることと、自分の場所を取ること。
人から何かを奪うことと、自分を表現すること。
本当に、同じなのでしょうか。

そこで、
「ああ。だから、あの人のことがあんなに嫌いだったのか。」
と分かることがあります。

これは、あの人を好きになる話ではありません。
自己主張は素晴らしい、と価値判断をひっくり返す話でもありません。

ただ、自分の中で一つになっていたものが、少し分かれて見える。
そして、もう必要のないルールまで自分に課していたことに気づく。
それだけです。

Messengerは再配達される

外側の原因を取り除くと、一度は静かになります。

自己主張が強くて嫌だった人が、いなくなった。
平和になった。
やっぱり、あの人が原因だった。

そう思うかもしれません。
ところが、しばらくすると、別の場所にまた現れる。

今度は、もっと自己主張が強く見える人。

その人とも離れた。
また平和になる。

そして、また現れる。
もっと強そうなのが。

人生が、こちらが学ぶまで強敵を送り込んでくる、という話ではありません。
その人たちが、本当に同じタイプなのかどうかも分かりません。

でも、
自分の中の同じ場所が、何度も反応している
ということはあるかもしれません。

だとしたら、強敵がアップグレードしているのではなく、Messengerが再配達されている。

前回、原因だと思ったものを取り除いた。
でも、Messageはまだ届いていなかった。

そんな見方もできます。

Messageが届いたあと

Messageを受け取ったら、嫌いという感情はどうなるのでしょう。

消えるかもしれません。
残るかもしれません。

私は、それ自体はそれほど重要ではないと思っています。
Messageを受け取ったら、感情そのものは、もうどうでもよくなることがあります。

そして、原因だと思っていた出来事の見え方まで変わることがあります。
以前なら、「あいつ、また自己主張してる。」と、その人の動向が気になっていた。

何を言うか。
どこまで出てくるか。
また何か取られるのではないか。

いつのまにか、その人を牽制するために、自分のエネルギーまで使っていた。

でも、自分の中で何が起きていたのかが見えたあとでは、
「ああ、この人、よく前に出る人なんだな。」
で終わるかもしれません。

相手は何も変わっていません。
同じことをしているかもしれません。

それでも、自分にとっては、もう以前と同じ「事件」ではない。

嫌いでなくても、NOは言える

自分の中で何が起きているのかが見えるようになると、
「嫌い」という大きな塊で人を見る必要がなくなることがあります。

なんか変な人だな。
ちょっと怖い。
この振る舞いは好きじゃない。
この人とは距離を置こう。
これは信用しない方がいい。

それで十分なこともあります。
嫌いにならなくても、NOは言えます。
悪者にしなくても、離れることはできます。

そして、嫌いなら嫌いで、それを今すぐ変える必要もありません。
ネガティブな感情を、忌む必要はありません。
それは、何かが間違っている証拠とは限らない。

そして、その直前に起きた嫌な出来事が、感情の原因とも限らない。
感情が現れたとき。
原因を探して、そこをどうにかする前に。

このMessengerは、何を知らせに来たのだろう。

そう見てみることもできます。

何度追い返しても、似たようなMessengerがまた玄関に立っているなら。
今度は、追い返す前に。
「で、何を届けに来たの?」と聞いてみてもいいのかもしれません。

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Kaeko

大人になってからのほとんどを、私は文化と文化の間で生きてきました。

人と人。

人と組織。

異なる価値観。

異なる世界。

私の仕事は、いつもその間に立つことでした。

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