自分の知らない自分に、会いに行く

自分の知らない自分に、会いに行く

一番になったことはありますか?
学校の成績でも、スポーツでも、仕事でも、何でもいい。

では、負ける可能性のある場所に、自分を置いたことはありますか?
何かに取り組んで、いい結果が出れば嬉しい。期待していた結果が得られなければ、悔しいこともある。

ただ、その結果をどう受け止めるかは、人によって違います。
ある人にとっては大きな成功でも、別の人にとっては物足りない結果かもしれない。同じ結果でも、何を目指していたかによって、その意味は変わります。

そもそも評価というものは、比較する相手や条件によって変わるものです。
ある場所では一番でも、別の場所ではそうではない。昨日までできなかったことが今日はできるようになったり、以前は簡単だったことが難しくなったりもする。

それでも私たちは、さまざまな評価を手がかりに、自分という人間を理解しようとします。
「私はこういう人間だ」
そう思えることは、安心にも繋がります。

でも、その理解が間違っていたとしたら?

知らない自分は、素敵な自分とは限らない

「まだ知らない自分に出会う」というと、何だか素敵なことのように聞こえます。
眠っていた才能が目覚める。思いがけない可能性が開ける。自分でも知らなかった強さを発見する。

もちろん、そういうこともあるでしょう。
でも、出会うのは、そんな自分ばかりではありません。

思っていたほど能力がなかった自分。
人の成功を素直に喜べない自分。
自信満々だったのに、あっさり負けてしまう自分。
あるいは、怖くて何もできなかった自分。
できれば知らずにいたかった自分。

そんな自分に出会うこともある。
そして、人によっては、それこそが大きなリスクになるのです。
自分について信じてきたことが、崩れてしまうかもしれないのだから。

私たちは、無意識のうちに、そうした出会いを避けることがあります。
自分よりできる人のいる場所に行かない。失敗する可能性のあることには手を出さない。誰かの意見を聞く前に、その人を否定してしまう。

自分の位置を守るために。

けれど、守ろうとするものが増えるほど、動ける方向が少なくなることもある。

探検家は、引き返す

先日、洞窟探検家の吉田勝次さんの配信を見ていました。

視聴者から、洞窟探検ではいつ命を落とすかわからないのだから、おいしいものを食べられるときに食べておきたいですよね、という趣旨のコメントがありました。
吉田さんはそれに同意しながら、生きている限りリスクはあるのだから、リスクがあるというだけで、何もしない理由にはならないのではないか、というようなことを話していました。

その言葉が印象に残った。
そして、別の動画で彼が話していたことも思い出しました。

危険だと判断したら、引き返す。
生きて帰ることが目的だから。

この二つの話は、私にはごく自然に繋がって聞こえました。
前人未到の場所を目指す探検家にとって、未知の危険は避けて通れない。
けれど、危険があるからこそ、調べ、備え、状況を見極める。
進むこともあれば、引き返すこともある。
今回の探検を断念したとしても、それは無謀に進まなかったという判断の結果でもあります。

私は、こういう考え方が好きです。
リスクを取ることと、リスクを無視することは違う。
恐怖を感じることと、恐怖に判断を任せることも違う。
怖いから進む場合もあれば、怖いからこそ立ち止まって調べる場合もある。
そして、進まないという選択もある。

「怖かったら飛び込め」の、その前に

世の中には、恐怖を乗り越えるための言葉がたくさんあります。

「怖かったら飛び込め」
「失敗を恐れるな」
「自分を信じろ」

こうした言葉に背中を押されて、何かが変わった人もいるでしょう。
私も、言葉が人を動かす力を持っていることは知っています。

ただ、気になることがある。

何が怖いのか。
何を失う可能性があるのか。
その人は、何を知っていて、何を知らないのか。

それを確かめる前に、飛び込むことだけを勧めてしまったら?

例えば、お金がなくなることが怖い人に、恐怖を手放すためにお金を使いなさいと言う。
けれど、その人が本当に必要としているのは、お金がなくてもなんとかなるということよりも、お金の使い方を学ぶことかもしれません。

一人では生きていけないと思っている人に、勇気を出して今の生活を捨てなさいと言う。
でも、まず必要なのは、一人で暮らすための条件を調べ、具体的な計画を立てることかもしれない。

実際の危険と、想像している危険がどこまで一致しているのか。
そこを確かめることなしに行動しても、問題が解決するとは限りません。
それどころか、状況が悪化することもある。

そして、うまくいかなかった理由を、また自分の勇気や覚悟の不足だと考え始めたら。
次こそはと、同じ言葉にすがってしまうかもしれません。

自分で選べるようになるために聞いていた言葉が、いつの間にか、その言葉なしでは選べなくなる理由になっている。

そんなことも起こり得るのです。

言葉は、檻にも鍵にもなる

子どもの頃から、私たちはさまざまな言葉を受け取って育ちます。

「あなたは賢い」
「あなたは不器用だ」
「あなたには向いていない」

言った本人は、何気なく口にしただけかもしれません。

でも、受け取った側にとっては、長い間、自分を定義する言葉になることがある。
面白いのは、その言葉を否定していても、縛られる場合があることです。

「あなたは役立たずだ」と言われて育った人が、絶対に役立たずではないと証明し続ける。
それは反抗のようでいて、実は相手の言葉を中心に生きているのかもしれません。

私は昔から、理屈っぽいと言われることがあります。
でも、言葉を使って考えるのは、必ずしも誰かを説得するためではない。
相手の言葉で作られた世界に、自分まで入ってしまわないためでもあります。

「本当にそうだろうか」
「その判断は、何を根拠にしているのだろう」
「ほかの見方はないだろうか」

そんなふうに考えることで、それまで当然だと思っていたことが、少し違って見えることがあります。

言葉が作った檻を、別の言葉がほどく。
ただし、ここにも落とし穴があります。

「勇気を持とう」という言葉で自由になる人もいれば、勇敢でなければならないという思いに縛られる人もいる。
「失敗してもいい」という言葉が救いになる人もいれば、失敗を平気で受け止められない自分を責める人もいる。

同じ言葉でも、相手によって働き方が違う。
それなのに、一度役に立った言葉を、誰にでも当てはまる答えにしてしまったら。
せっかく檻をほどいたつもりが、また別の檻を作ってしまう。

自分を守るための構え

私たちは、長い時間をかけて、自分という人間についての認識を作っていきます。
それは、日々を生きるために必要なものでもあります。

でも、自分はこういう人間でなければならない、という思いが強くなると、私はどこかが硬くなるように感じます。
身体に力が入る。
身構える。
何かを守ろうとする。

そして、守ろうとしているものが何なのか、案外自分でもわかっていないことがある。
一方で、自分が思っていたほど立派ではなかったと知って、思わず笑ってしまうこともあります。

「ああ、なんや。私って、こんなもんか」
悔しいこともある。情けないこともある。

でも、そこには不思議な軽さがある。
思っていた自分であり続けなくても、別に今日が終わるわけではありません。

生まれたときから、私たちは自分の成績や肩書きや評判を知っていたわけではない。
長い時間をかけて身につけた自己像は、自分を理解するための大切な手がかりである一方で、いつの間にか、自分の動きを制限することもあります。

その構えが少し緩むと、以前は考えられなかった選択肢が見えることがある。
それは必ずしも、何かに挑戦するという形では現れません。
やめることかもしれない。
誰かに助けを求めることかもしれない。
今まで通りに続けることかもしれない。
同じ行動でも、それを選ぶときの自分の状態は、違っていることがあります。

さて、どこへ行こうか

私は、負ける可能性のある場所に、そうとは知らず自分を置くことがあります。
そして、結果として、自分が思っていたほどできない人間かもしれないと気づくこともある。
もちろん、最初からそんな自分に出会おうと思って、そこへ行くわけではありません。
怖いことは怖いし、負ければ悔しい。

それでも、知らなかった自分に出会ったとき、以前ほどその自分を否定しなくなった気がします。
自分を試すために生きているわけではない。
生きていたら、自分が試されることがある。

そのとき、自分が思っていた自分とは違う何かが現れても、少しぐらいは、それを受け止める隙があってもいい。
もちろん、いつでもそうできるわけではありません。

誰かにとっての勇気ある一歩が、別の誰かにとっては無謀な一歩かもしれない。
そして、ある人にとっては、進むことよりも、引き返すことの方がずっと勇気のいる選択かもしれません。

自分がどこにいるのか。
目の前には何があるのか。
何を恐れ、何を守ろうとしているのか。
それを見て、進むこともあれば、戻ることもある。

そして、ときには、自分が思っていた自分とはまるで違う人間に出会う。
そんなとき、私はきっとまた、驚いたり、悔しがったり、笑ったりするのだろう。

さて、次はどんな自分に会うのだろう。

進むときも、引き返すときも。
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Kaeko

大人になってからのほとんどを、私は文化と文化の間で生きてきました。

人と人。

人と組織。

異なる価値観。

異なる世界。

私の仕事は、いつもその間に立つことでした。

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